ここから、ハイパー論理に。
猿は、
「形式公理化できれば、その理論体系は無矛盾。」
と思いこんでいたらしい。
そう習ったのカモ。
それが根本的な間違いだと悟らせたのが、神の私です。
「しかし、第一階述語論理ベースで形式公理化できればOK宇宙なのでは?」
それも怪しいというのが、PAに関する伏線指摘ですが。
何故か理由が判っているのかね?
だって、Δは計算可能で、自然数にコード出来るのよ。
ここから、ゲーデルの不完全性定理に繋がり。
道具としてのRF論が登場し。
表現可能性へと繋がるのですが。
ゲーデルが考究したのは、ここまで。
それでも、計算可能性を超えた証明があることまでは判ったはずで。
実際、メタ領域に属する無矛盾性証明なんかは、こちら側の専売特許。
当然、集合論なんかも、計算可能性を超えた証明場です。
群論ですら、定義公理を超えて、準同型写像とか言い出すでしょう。
集合の対応ですよ。