2024年12月28日 (背理の日)
今まで、メタというと、
「矛盾」
とか
「独立」
とかを持ち出して。
「これがあるから、(演繹)証明は計算(可能)とは違う。」
と述べてきました。
ゲーデルが扱ったのも、自己言及系の
「決定不能命題」
という特殊な結論。
計算論系に翻訳すれば
「TMの停止性問題」
こういうのが計算可能性の範疇を超えます。
また、当然ながら、強制法系の各種命題
「AC、AD、・・・」
等も計算可能性の対象外。
こう知っても、脳タリン猿は、
「通常の数学的結論の証明作業なら計算可能性の枠に収まるだろう。」
とヒルベルト程度の脳に回帰するわけだ。
フッ、それが甘いのよ。
何の為に、前回の議論をしたのかです。
メタというのは、コード使って、いくらでも通常理論T内で使用されますよ。
その具体例が
「対角線論法」
です。
これを使って、実数の(有理数と違う)一番重要な性質である
「非可算性」
を証明するわけですが。
前月のハイパー神商にも登場したので。
対角線論法に関する大事な情報を開示しておくと。
非可算性証明の基本思想というか、論理的手法は
「背理法」
です。
「Xと仮定すると矛盾が出る。
∴Xでない。」
こういう枠内証明。
具体的にはXとして
「実数[0,1]区間が可算」
と設定されるわけです。
この実無限(可算)に関する仮定を実数論T外と言っても。
証明の正しさは些かも減じませんが。
従来の素朴理論猿は、これをT内と思ってきたのかな?
この仮定はメタTではありませんが。
T外の可能性は残るカモ。
つまり、実数論において
「集合の濃度」
という概念を気にするかどうかという論点です。
ここで得る結論は独立でも矛盾でも決定不能命題でもなく。
「実数非可算性」
です。
実数の性質として最も基本的なもので。
非可算性こそが連続性の核心利益。
そこから、微積分に繋がるわけで。
やはり、非可算性を扱うしかないでしょう。
デモ、通常の実数論Tでは非可算性までは扱えないように見えるカモ。
ここの秘孔は?
実は、可算・非可算は集合論の専売特許であり。
Tで考えなくても。
土台OSの集合論で考えるわけで。
この事実一つとっても、従来の数学理論Tの証明場は
T+ZF
だと分かるでしょう。
だからこそ、ZF矛盾は数学を破壊するのです。
事態の深刻さを悟れよ、数猿。
ここから、例によって例の(集合論系課題としての)
「存在 vs 具体化」
の話に繋がっていくのですよ。
実数は非可算なので
「実数が可算で一列に並ぶ。」
なんてことは有り得ない反実仮想になりますが。
それでも証明としては論理的に使えます。
だって、演繹証明作業の基本中の基本です背理法は。
対角線論法だけじゃなく、推論の至るところで採用されています。
つまり、ここで、計算可能な
「実際に一列に並べる関数」
なんて枠から出た演繹推論になるわけです。
こういう風に、集合(ここの文脈では関数)の
「存在 vs 具体例」
の課題は、証明中、至る所に登場します。
気を付けなさい。
今までの伏線の価値が判ったかな。
その背理法の根拠が
「古典論理(ブール値)」
です。
真偽2値ならB(1)の世界。
分かったかな、論理やB(n)の重要性が。
どうじゃ、実関数論の猿よ。
昔、
「微分のことは微分でせよ」
なんて洒落た数学格言がありましたが。
それが、如何に、青い格言だったか悟れたかな。
今や、成熟した
「論理のことは論理でせよ」
という時代に突入しましたよ。
つまり、
集合論+古典論理B(n)・・・(論)
の時代です。
Tなんぞ、枝葉みたいなもの。
「演繹推論(における正しさ保存作業)」
において、本当に大事なのは(論)の方。
幹(集合論)や根(古典論理)が無くして枝葉は生えないの。
よく身に沁み込ませておきなさい、数猿や物理猿や計算猿よ。
この導入部から、今回の本論に。
前回、ハイパー神商で
「実数の人生モデル」
として、
「2進法ベース対角線論法」
を論考し、最後に
1見10知100考1000創10000得
と大見得を切っておきましたが。
まだまだ、その真意が把握できてない模様。
今回は、10知レベルの蘊蓄を傾けておきましょうか。
前回のハイパー神商の復習から始めると。
「{(i1,i2,i3,・・・)|B(ω)の≣代表元}・・・(i)
の対角線上に出現する
(ij1,ij2,ij3,・・・)
に対し。
ikn=1 if ijn=0
ikn=0 if ijn=1 ・・・(j)
として
(ik1,ik2,ik3,・・・)・・・(k)
を生成すると。
(k)は集合(i)には属さない新登場の要素になる。」
というのが対角線論法です。
但し、2進法の場合には、
「(k)が(i)の要素と≣同値になる可能性」・・・(可能)
が残るわけで。
対角線論法の
可算仮定⇒矛盾
が破綻するわけですが。
(可能)が成立するのは
(k)が特殊な
「リスト中のある項(桁)から先は全て1)・・・(特殊)
の形をした時に限定されますね。
ならば、
「最初に(i)を一列に並べる際に。
上手く並べたら、(特殊)ケースの発生は回避できるのでは?
この場合、2進法状況でも、対角線論法は生き残るはず。」
深掘りする猿ならば、こう考えるはず。
考えなかった猿は脳タリンの証拠。
しかし、ここに対角線論法の基本思想が干渉するのです。
対角線論法とは、仮定Xとしての
「可算個のωリストの(縦一列の)並べ方」
について、何も制約を付けない論法です。
その並べ方に制約Cを付けたら、それは
「制約C付きの対角線論法」・・・(C)
になります。
Xとは基本思想が違ってくるし、論理的強さも違うのよ。
非可算性の証明に視野狭窄して見れば。
2進法ベースでも(C)法で証明が出来る可能性は残ります。
但し、実際に、制約Cをキチンと考えるのは案外面倒。
実力試しにやってみ、猿よ。
(あくまでも可能性だぜ、成功するかな?)
しかし、前回のポイントは、その方面ではなく。
2進法では、制約を付けない通常の対角線論法が
「使えない状況」
になっているというのが重要。
これがB(ω)ベースの人生モデルの格真利益。
但し、折角、持ち出したのですから。
歴史記念に、上述のような(C)を
「制約対角線論法」
と名前付けしておきます。
創始者特権で著作権設定。
これが役に立つかどうかは、具体例依存です。
対角線論法は実数非可算性の証明に使われるだけじゃありません。
メタのオブジェクト化において至る所で登場します。
その際、
「対角線論法 vs 制約対角線論法」
の違いをキチンと認識できているかどうかは死活問題になったりします。
薄らボンヤリと証明作業している脳タリンは、この相違が分からず。
制約対角線論法使って、対角線論法の証明した気分になるカモ。
逆に、対角線論法使って、制約対角線論法の証明したつもりになるカモ。
格真利益は
「制約CはT内かT外か?」
「制約CはTと矛盾しないか?」
これが10知。
厳密監査の重要性が分かっているのかな、難問挑戦猿よ。
私はビジネスしてるので、無駄なことはしません。
これで374町目。