2024年10月28日 (空の日)
ZFを代表見本役としてtermの重要性を論じてきましたが。
少し、違和感を感じる猿がいたはず。
どういう箇所かというと。
ZFはtermをハッキリとは定義してないのですが。
formula部分を見れば第一階述語論理風に公理化されています。
以前、こういうのを
「半公理体系」
と名付けました。
私のオリジナルです。
この状況下で、次のような疑問を抱く猿が多いカモ。
「ZFの場合、formula部分だけの演繹推論で。
個体定数Æ以外の{x|}termを使わずに証明結果は得られるのでは?」
実際、ZFでの証明作業は、そのレベルの証明になるはずです。
この点を、どう考えるのか?
実は、ここが最大の難所ポイントなんですよ。
問題の所在は何処か?
formulaに束縛変数が登場しているわけですが。
それに具体的なtermを代入するまでは論理的にOK宇宙。
今までは、
「この場合のtermの範囲が確定してない。」
というのが論点でしたが。
そこで名前が登場するわけです。
「証明作業中に適切なterm代入が必要な場合。
(エルブラン)宇宙全体はハッキリ決まってなくても。
各箇所で、便利な名前を(論理的に正しく)採用し。
それを用いた表現で証明作業を続ける。
この場合、証明場に出現する名前の個数を有限個に限定する。
この結果、証明の正しさ(正当性)は保証できる。」・・・(論点)
こう考えることで、ZFは(多分)無矛盾だと想定されてきたわけです。
ゲーデルやコーエン筆頭に従来の教授連中も、それほど愚かでは無かったということ。
しかし、連中の脳レベルがタリンかったの。
「天才(天使) vs 神」
では、レベルの格が違うのよ。
(論点)をヨーク分析してみ。
登場する名前候補は自由集合になるのですが。
そこから有限個だけ抜き出した証明なら大丈夫か?
大丈夫だと思うのは、公理シェーマに対する述語論理のコンパクト性からの類推ですよ。
しかし、果たしてterm(名前)世界でも通用するのか?
この懐疑を抱けなかった模様。
だって、自由集合は、私が史上初で導入した枠外概念ですから。
その有限近似と言う枠内化自体が斬新なのよ。
それでも、神の御蔭で知力進化した猿なら突っ張ることができます。
(神は自分に似せて、人を創るわけだ。)
「公理シェーマも自由集合になり得るのだろう。
それでも、証明作業中に使用されるのは有限個だから。
矛盾の観点から見ればOK宇宙。
名前の採用も、影響するのは、結局、論理式レベル。
よって、名前導入結果をシェーマの観点から見れば。
矛盾の意味では大丈夫になるはず。」
と、まあ、こう来るはず。
フッ、まだまだ甘いわ。
ここから先は私の独壇場で。
シェーマの場合、自由集合でも有限近似は大丈夫です。
一応、シェーマとして形式表現されますから。
しかし、名前の場合は?
これの定義の段階になって、やっとこさ、{x|}が登場するのですよ。
名前の(セマンティクスではなく)表現は単なる(term)記号ですね。
これを仮に、“甲”としましょうか。
この甲を変数に代入してもOK宇宙だと主張できる根拠は?
機械的な証明作業の途中、ZF外で人が考えて。
甲={x|φ(x)}
とするしかないのよ。
そのZF外作業を証明場に乗せる為に、
{x|}
というterm記号があるの。
しかるに、このterm宇宙は境界がハッキリしていません。
そこで、私のハイパー論理のテーマである
「名前 vs セマンティクス」
や
「term vs formula」
が出現するのよ。
ここの文脈では
「自由集合の有限近似は矛盾の観点から許容されるのか?」
という課題が登場するのです。
公理シェーマでは、これが許可されました。
その根拠が述語論理のコンパクト性。
では、名前は?
「名前も有限個なら大丈夫なのでは?」
自由集合の場合、果たして、コンパクト性が根拠になるのか?
違いが判るかな?
シェーマは論理式の方ですね。
そして、ZFでは、キチンと公理化されています。
一方、名前はtermの方なのですが。
便利な記号導入の観点だけで大丈夫か?
上述のように、一般の集合に名前を付けるには。
{x|}使わないと、どうにもならしゃいません。
例えば、和集合の表現で、便利な関数記号(名前)
∪
を採用していますね。
これで、エルブラン宇宙は無限になりますが。
∪の定義をキチンとやろうとすると。
論理式での存在レベルから、集合の具体化が必須。
それに(人は脳内で){x|}を採用しています。
そこからΔ理論に入るのよ。
違いが判る人のゴールドブレンド。
深いなあ。
しかも、ZFの{x|}termの場合。
矛盾とは関係してないように見える。
それが、矛盾に直結しているというのが驚愕なのです。
つまり、究極は、
「formulaやtermのセマンティクス問題。」
ここから枠外性が干渉し始めるわけです。
そこで具体例として、空集合の名前
∅
を採用し。
よくよく、検討してみると。
「∅のパラドックス」
が発生するという筋書き。
これが私の発見でオリジナル。
有限個の名前採用どころか。
1個でも矛盾の素になるのですよ。
この点は、脳タリンの猿から見たら、当たり前に見えるカモ。
だって、滅茶苦茶なセマンティクスの名前採用すれば、矛盾するでしょうから。
しかしねー、ここの対象は空集合なのよ。
空集合のセマンティクスである空集合公理の何処が変なのか?
この公理がマトモだとすると。
∅の定義もマトモなはず。
実際、誰も、疑わなかったという歴史的事実があります。
しかし、真理は、そうではなかったの。
外延性公理(AE)が干渉してきて。
相克するの。
神の私だけが深層の懐疑を抱く脳力があったわけだ。
その懐疑から、
「∅のパラドックスの結果、ZFは矛盾する破目になる。」
という真理を導いた。
この驚愕の真理は私だけが発見でき。
しかも、それをキチンと証明作業に乗せて。
実際にZF({x|})矛盾を証明しました。
こういうのを、誇張無しに、空前絶後というの。
こういう大発見の歴史なんですよ、私が今まで、ここで展開してきた分析は。
公開したのは、{x|}の重層構造ベースでのZF矛盾証明でしたが。
同じ証明が’法termでも採用できます。
但し、まだ、term抜きのZF矛盾証明はしていません。
ここまで来て、今回の議論が干渉し始めるというシナリオ。
term抜きZFは半公理体系ですね。
そもそも、その矛盾は果たして証明可能なのか?
私ならできます。
ZF({x|})矛盾証明をterm抜き証明に翻訳できるのです。
歴史上、現在は、猿の翻訳脳力を試している最中だということ。
これで368町目。