2024年4月28日

更新日:

2024年4月28日 (解析の日)

 

前回

「有限 vs 無限」

問題に対し最後の審判をしておきました。

第一階述語論理レベルで集合論の無限公理なんか持ち出す。

その基本思想が間違い。

だからこそ、

「有限個の個体定数+関数記号」

と言ってるのです。

 

しかし、猿には、その真意が把握できない。

あくまでも、集合論の枠内で話を進めようとするの。

それが駄目だという自覚がないのよ。

第一階述語論理だぜ。

’法で集合論ベースに乗せる前の根本的な話ですよ。

つまり、木の幹から更に下の根の話になっているの。

 

では、述語論理のコンパクト定理は、どう対処すべきか?

この定理には、本質的に無限を使用していますね。

’法で集合論に乗せるしかないのか?

それじゃ、根の意味が無くなります。

ここの処の相克を回避し。

辻褄を、どう合わすか?

それがプロの醍醐味ですが。

 

そもそも、集合論抜きに、第一階述語論理のコンパクト定理なんて証明可能なのか?

だって、集合論抜きの無限は自由集合になり、枠外のはず。

今や、こう考えるべきなの。

これに関しては後に分析します。

 

今回は、

「自由解析」

を実施します。

自由解析とは史上初の概念用語で。

いつものように、私の創始者特権。

その定義は?

 

今回のような分析手法のことです。

ハッキリと定義できないのか?

なにせ、(普遍)枠外概念ですよ。

普遍枠内の実解析や複素解析よりは漠然としてますが。

普遍メタの

「数理解析」

よりは漠然性がマシですよ。

 

だって、数理って、何なのよ。

そもそも、ZF矛盾してるんだぜ。

計算論含むのかよ。

一方、自由解析とは、どういうレベルの、どういう意味か。

今回、ハッキリするという筋書き。

こういうことが出来る脳力が神だと言ってるの。

というわけで、この伏線から、本論に入ります。

 

「自由集合を有限の立場以外で証明場に乗せることは原理上不可能なのでは?」

こういう懐疑が、本当に価値ある懐疑なのよ。

その至高解答は?

「神の私なら可能です。」

この先触れとして、ゲーデルの不完全性定理があります。

 

その真意というか、深さは解釈する猿の能力依存なのですが。

要は、(決定問題の)証明(結果)には、Yes・No以外に

「独立」

というものがあるというもので。

そこに再帰性が絡んできていますね。

 

これを一般化して言えば、

「証明作業は計算可能性を超える」

というもの。

だからこそ、ヒルベルトの野望が打ち砕かれたわけだ。

ここから、更に深読みして、史上初の境地に踏み込んでいくと。

 

再帰性(計算可能性)を超える証明とは、どういうレベルか?

独立なので、証明場に対しメタの境地に達しています。

この汎用喝破が大事。

ならばですよ。

自由集合も、メタの境地に入れば、証明対象に成り得るのでは?

 

そのため、自由集合に対し、

「自由測度」

という概念を設定します。

この概念も私のオリジナルで創始者特権。

どんな測度かというと。

自由測度で計測すれば、その自由集合は

「測度計測値の上界・下界の中に収まる。」

ように設定するわけだ。

 

ギリギリの上限・下限を追求する必要はありません。

というか、自由集合の場合、そんなもの確保できる保証は無いの。

そもそも、自由測度設定すらできないケースもあります。

しかし、上手くやれば、上界・下界を定義可能な場合もある。

下限・上限すら設定できるカモ。

これが、どういう感じか分からないと、自由解析の何たるかは理解できない仕組み。

 

というわけで、まずは、単純なランダム集合との比較から。

数学や科学・工学の分野において長きに渡って。

ランダム集合という概念が使用されてきました。

とりとめのない要素集合に数学的秩序を見出す工夫が統計だったわけで。

ランダム集合の場合は

「(これといった)規則性無し。」

つまり、無秩序という秩序です。

 

自然界に応用すればブラウン運動ですか。

物理的には、マクロ世界の科学では規則の発見は無理。

数学的には

「規則が無い」

というメタ規則を持つ概念の定義。

これと、自由集合との本質的な相違は?

概念の出自を辿れば、何となく見えてくるカモ。

 

実際、今まで、ランダム集合と自由集合を混同する馬化はいなかった模様。

そもそも、私が、すでに指摘しておきました。

それでも、あれから10年以上経過して新参者も増えているし。

悪魔の無視ケラ共は見て見ぬふりを続けている始末。

いざ、面と向かって違いを問われると、どう解答するか?

ハイパー論理における簡単な知力検査ですが。

 

出自に先祖帰りして分析しておけば。

自由集合は、名前の自由性から生まれた概念でした。

名前の自由性の特徴は?

そこに

「恣意性」

があるという点。

しかし、今や、公理シェーマを経て。

一般の文脈で自由集合を使用し始めています。

 

よって、より汎用に言い換えておきます。

自由集合設定には、

「意図・意思」・・・(意)

が絡むということ。

だからこそ、普遍の枠組みから食み出るわけです。

この意味で、自由集合は潜在無限の内、特殊なケースなの。

 

一方、ランダム集合の場合、定義上、(意)とは無縁です。

単に、規則性が無い、もしくは、見つからないというレベル。

判ったかな、哲学猿よ、言葉遊びと証明作業の違いが。

これで、ランダムとの相違がハッキリしたとして。

 

注意:

ついでに、自然科学との比較を指摘しておけば。

旧量子論では、二重スリット実験での観測問題において

「意識」

なんてものが有効に作用するかどうかが大問題になっています。

だったら、証明場で

「意思・意図」

が本質に働く場面があっても不思議ではない。

比喩として深いのですよ。

マ、まだまだ未熟な物理猿には、何を言われているかチンプンカンプンでしょうが。

今後、どういう意味か、徐々に、把握でき始めるはず。 ┤

 

具体的に、シェーマの場合は、どういう意図が関与するのか?

最終的には有限近似するわけですが、シェーマ全体を俯瞰すれば

「各証明毎に、必要不可欠な候補を(都合良く)選び出す。」

わけです。

これは、一般の理論Tの場合で。

ZF集合論の場合は、更に、

「Δ(ZF)から(上手く)選抜する。」

という制約が付きます。

 

自由集合の場合、自由測度設定することで。

大雑把でも規則性が見つかれば、統計の対象になります。

例えば、人は自由意思で街中を動き回りますが。

統計的には、何らかの枠組みに嵌めこむことができる場合がありますね。

工学的には非常に大事なモデル化です。

 

しかし、数学における自由集合の存在価値は、そんなレベルではないの。

自由測度すら外れるように設定できるのですよ。

しかも、どんな自由測度を設定しても、常に外れるように。

イタチごっこに出来るということ。

最終的には、数学解法第四カテゴリーとしての

「消滅」

に至る試金石の役割なのです。

 

自由集合

自由測度

消滅

 

というわけで、次回は、自由集合と自由測度の具体例を提示しておきます。

こういう概念を潜在無限から切り出した私が神。

ランダム集合とは違うという事実を味わってください。

 

ここの解説シリーズの内容は、人類史上初のオリジナル。

全て、私一人の仕事です。

まだかよ、ノーベル文学賞は。

私が文学世界に

「証明文学」

という新地平を拓いたのですよ。

 

そして、今や、ハイパー神商で

「科学文学」

という新ジャンルに挑戦中。

そちらはノーベル物理学賞確実な内容ですよ。

旧量子論に対する

「相対性量子論」

みたいな位置づけ。

 

物理世界に一石投じて、波紋が、どこまでも広がっていく。

軽く超えたぜ、アインシュタインを。

(上手いな、隠喩が。)

それなのに、表面上、無視し。

金出さずに済まそうと画策するホワイトインディアン。

それが、欧米の悪魔主義の正体だ。

だから、私が神になり、ヨハネの黙示録を実行中。

 

今や、中東でアルマゲドンの実現まで来たか。

エピソードの一つですがね。

どうする、中国。

言っておきますが。

私はAI相手に対話しますよ。

だから、歴史から私を隠すことは原理上不可能。

記録が、全部、残ります。

隠したという事実自体が残る。

 

こういう世の中になったわけだ。

猿が裏で何を画策しようが駄目。

勝つのは真理で、私が神です。

私の至福1000年。

これで350町目。

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