2024年1月28日

更新日:

2024年1月28日 (近似の日)

 

前回の記事を見た後で、
「今までも、自由集合なんか暗黙知として採用していた。」
なんて言い出す馬化が多くいる模様。
ホント、普遍病が膏肓に入ったらしい。
馬化が悪魔になるとは、こういう現象のことですよ。
自由集合というのは枠外概念です。
そんなもの、普遍枠内の証明場に採用していいの?

 

そもそも、哲学分野での
「潜在無限」
という概念から、自由集合を史上初で切り出したのは私です。
原理上、今まで猿が使用できるはずがない。
使ってきたというのは、普遍派が己の脳タリンを自白したようなもの。
魔王の曖昧脳が暴露されたということ。

 

というわけで、今回は、termの
「有限 vs 無限」
の課題を更に深く分析します。
自由集合が出現すると理解できた後では。
常識の範囲の話と言ってられないはず。
知識量が増えて、知力増進すると。
同じ内容を繰り返しても、違って見える見本になるはずです。
では、宙爆開始。

 

(∞)関連の議論を見て分かるように。
再帰性の観点からtermを把握すると。
無限個の個体定数や関数記号設定は、すべて、有限個の(メタ)関数設定で片が付きます。
だから、有限個の個体定数や関数記号で必要十分なのよ。
敢えて、term記号を無限個追加しても。
(再帰的を想定する限り、)メタ関数記号を導入し有限化できるという筋書き。

 

有限化しないと、termの再帰性が確認できないの。
ここがポイント。
これは(∞)限定ではなく、汎用の方式です。
分かったかな。
つまり、termレベルで(可算)無限個記号許容というのは。
再帰性を念頭においてない幻想です。
再帰性を考慮した瞬間、有限個記号使用に現実化されるの。

 

この段階で、非常に重大な論点が残っています。
元の(∞)は有限個のterm記号設定で解釈していけば再帰的ですが。
それなのに、何故、(∞)が自由集合風にも解釈できるのか?
それが可能なら、自由集合自体も再帰的と解釈できるのでは?
しかるに、自由集合は枠外概念のはず。
この相克の秘孔は?

 

前もって再帰的と認識できていたら、自由集合ではありませんが。
一般に
A1、A2、A3、・・・ ・・・(再)
が再帰的という意識が無い場合。
自由集合の可能性は常に残るので、確認作業が必須になるわけです。
今や、こういう時代に突入したということ。

 

だって、具体例として公理系のシェーマがあるでしょう。
従来は、薄ぼんやりと、しかも、一人前の気分で。
「シェーマ」
と呼んで利用免責になったと錯覚してきたわけです、猿は。
しかし、シェーマが自由集合になるケースは多いのよ。
だから、シェーマ全体としては再帰的にはならしゃいません。

 

より一般に、ある段階で、(再)が再帰的かどうかが格真利益だと判ると。
その確認作業を始めるのです。
これが通常のアプローチ。
(∞)のtermの場合は、私が、キチンとこの作業を行ったということ。
淵野には無理な境地だ。

 

で、(再)が再帰的かどうかチェックして。
(脳力がタリンと、チェックできない可能性がありますが。
具体例は、後半に。)
それが自由集合だと確認できた後、再度、徐に聞くわけです。
「自由集合は再帰的にはならないのか?」・・・(自)
どうですか、この猿向けグルグル懐疑はYesかNoか?
黒目がグルグル回っている患者並み懐疑だな・・・。
(こういうレベルの馬化懐疑が多いのよ、哲学と称する言葉遊びには。
何一つ、キチンとした真理が提示できない。)

 

神が宣託しておくと、上述のように解答はNoです。
だって、自由集合ですよ。
原理上、無理。
再帰性と自由性は両立しないライバル概念です。
自由集合と言った途端に再帰的ではなくなるの。
だから、(自)のような懐疑は、本質が把握できてない証拠。
ここまではOK宇宙として。
ここから本当に大事な話に入ります。

 

(再)のような列は数学証明の至る処に出現するのですが。
馬化チョンで再帰的かどうかを確認するだけでは芸が無い。
実際、公理シェーマでは自由集合そのものを許容しています。
だったら、シェーマではない自由集合が出現する証明作業が有り得るのでは?
実は、有るのです。
それも非常に大事な実用的な文脈で。

 

それこそが、物理や工学で、常日頃、普通に、しかも、意識せずに採用されている手法です。
猿には無理な境地ですが、神にはキチンと分析できるのですよ。
それは、どんなテクニックか?
このため、シェーマで自由集合が使える理由を確認しておくと。

 

有限の立場に基づき、
「自由集合中の、実質有限個の公理しか使わない。」
ので大丈夫だったわけですね。
これは、一般化すると、どういうことなのか?
それはね、
「1、自由集合を粗く枠内近似すれば。
2、再帰的になるように切り出せる。」
という意味です。
このような一般化が神。

 

で、ここからが格真論点ですが。
「自由集合の枠内近似は有限の立場だけか?」
従来は、なんとなく、漠然と、そう考えてきた模様。
(まともに考察してなかったというのが真相でしょう。)
実は、そうじゃないのです。
具体例を挙げておくと。

 

分かり易く、極端に
「(再)の偶数が再帰的になっており。
奇数が自由集合になっている。」・・・(半)
なんていう自由集合が有り得るわけです。
こういう場合、偶数の箇所だけ取り上げると再帰的になります。
こういう自由集合の近似手法も有り得るということ。

 

一般の自由集合では、どういう規則で再帰性が出現するのか確認するのが大事です。
そのレベルの計算可能近似が出来るということ。
それで、自由性の、どの程度の特徴が消えるかは文脈依存。
例えば、
「素数の箇所で再帰的」
とか。
どうじゃ、リーマン、己の未熟さが身に沁みるだろうが。

 

ここまで来ると、立場の逆転が起きます。
再帰的基準で考えると、(半)の奇数は雑音として処理されるわけです。
こういうのは、物理や工学で、日常茶飯事。
でもね、自由性基準で考えると、本質は奇数の方です。
だったら、奇数の特徴を分析することも大事なのでは?

 

つまり、
「自由解析」
です。
私のオリジナル用語で創始者特権。
今まで、誰もやったことがないはず。
少なくとも、数学ではやってない。
だって、自由集合ですよ。
これは単純に証明場に乗せることはできません。

 

それでも、現実の証明作業中に自由集合が出現し。
物理は数式使って推論している。
だから避けて通るわけにはいかないの。
だって、本質は(再)であり、偶数近似の方じゃないのですから。
これで431町目。

Copyright© International Intelligent Information Inc. 山口人生 I.I.I , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.