2023年10月28日

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2023年10月28日 (シェーマの日)

 

一般に形式公理体系Tという場合。
公理候補として無限個の公理を許可します。
この場合の無限の意味、レベルは?
だって、公理として提示できるのは有限個でしょう。
どうやって、無限個の公理を書き尽くすのよ?
この段階で、再度、再帰的という概念が幅を効かせます。

 

公理体系Tというからには。
それは、形式的な証明のベースになるわけで。
だから、
「Tが再帰的になっていれば、無限個の公理も許容できる。」
という意味のはずです。
で、通常、再帰性を確保するには。
有限個の記号を使って、何らかの規則正しい構成法に則り。
無限個の公理を設定していくわけです。

 

ここまでは、猿にも納得できたとして。
(無限個の記号なんて言ってた猿の眼から鱗が取れたかな。)
では、
「公理のシェーマ」
というのは、どうなっているのか?

 

シェーマも表現する必要があるから書き下しているわけですが。
そこにはズルがあり。
無限性を表現するのに、
ψ1,ψ2、・・・ ・・・(Ψ)
と採用論理式を現す簡略記号に依存しています。
しかし、この論理式の候補には別に規則性はあらしゃいません。

 

つまり、実を言えば、シェーマの本質は自由集合性なのですよ。
ああそれなのに、それなのに(^^♪
大雑把な論理式枠組みが共通しているので。
何となく、枠内で表現できているように見えるだけ。
というか、中には、本当に、枠内表現できる範囲の(Ψ)もあるのですが。
(Ψ)が枠外自由でも大丈夫なのです。

 

その根拠は?
これについては、後に詳しく分析していきますが。
これはハイパー真理なのです。
しかしですよ。
この真理によれば、形式公理体系に自由性が登場することになります。
これは冒頭の伏線を考慮すれば拙いのでは?

 

ここで述語論理のコンパクト定理が登場します。
「無限個の公理体系Tに対し。
任意有限個の部分体系T’で無矛盾なら。
T全体を考慮しても無矛盾。」
この場合のT全体を考慮するとは、枠内という意味でしょう。
これと、上のハイパー真理との相互関係は?

 

一見、相克しているように見えますね。
しかし、今や、私が淵野の誤解を解いた後なので。
これは相克とは言えないことが分かる猿には判るはず。
何処に真理の種が潜んでいるのか?
実は、自由性の方に潜んでいます。
これこそが、論理で一番重要な真理ですが。
その重要性すら認知できてない哀れな猿という構図。

 

脳の計測精度が粗い猿が相手なので。
具体例を挙げると分かり易いカモ。
まずは淵野レベルの考えそうな汎用例から。
無矛盾と想定される理論TがシェーマSを含むとし。
そのシェーマの二つの有限部分集合S1とS2を考えます。
当然、T―S+S1もT-S+S2も無矛盾ですが。

 

「S1 vs S2」
が矛盾するケースは有り得るのか、有り得ないのか?
つまり、
「T―S+S1+S2」・・・(偽)
が矛盾するケースです。
コンパクト定理を考えれば、(偽)は駄目なので。
この時点で(偽)のケースは考察の対象外だと判明。
では、何故、こういうことを考える必要があるのか?

 

ここで具体例ZFが登場します。
ZFには置換公理ARがあります。
そして、拡大体系として
ZF+AC(以後、ZFC)

ZF+AD(以後、ZFD)
を考えることができます。
しかし、ZF+AC+ADは矛盾しますね。

 

ところがですよ。
ARの表現を見てください。
ZFにおけるAR
vs
ZFCにおけるAR
vs
ZFDにおけるAR
全部、同じ(ψ)使った同一表現でしょう。
つまり、ここで要注意なのです。

 

ARのシェーマとは何を表現しているのか?
解答を公開しておけば。
ZF版ARとしてのAR(ZF)
vs
ZFC版ARとしてのAR(ZFC)
vs
ZFD版ARとしてのAR(ZFD)
は全て違う内容だと把握すればOK宇宙。

 

これで迷宮から脱出できるわけですが。
問題はです、
「ACやADがZFから独立」
で、しかも、
「ACとADが相互矛盾している」
なんてことは、証明されるまで分からないのよ。
大丈夫か、ABC問題の証明よ。
(ABCD・・・R
なんてアルファベットの用法が秀逸な余裕。)

 

ここまでが淵野を超える猿レベルの話ですが。
ここから、ハイパーな領域に踏み込みます。
無限個のシェーマ系公理(Ψ)を考えます。
この中の任意有限個が無矛盾だとします。
すると、コンパクト性により全体が無矛盾。
しかし、これは、あくまでも、枠内思考。

 

今や、自由集合というものがあり。
(Ψ)を自由集合と考えても。
任意有限個の無矛盾性が保たれていれば。
論理の証明体系として、何か支障があるのか?
無いでしょう。
矛盾というのは、どうせ、有限個の公理体系ベースで考えるものですから。

 

つまり、(Ψ)の任意有限個が無矛盾の場合。
コンパクト使って、(Ψ)全体が枠内と主張するのではなく。
「(Ψ)全体は自由集合」
の場合も有り得るという真に新しい見地に立つのです。
この見地で、形式公理体系として何処かに支障が出るか?
出ませんよ。

 

というか、こう考えないと、逆に、支障が出始めます。
数学の境界領域で。
つまり、独立を超えた、消滅領域で。
だったら、逆に、数学解法第四カテゴリーとしての
「消滅」
なんて無用なのでは?

 

フッ、21世紀からの数学では必要不可欠です。
その証拠が
「P vs NP」
問題。
これで秘孔を突いたな。
ここの機微が分かってないと、人にはなれない。

 

となると、コンパクト自体も
「ハイパーコンパクト」
に概念を拡張したくなりますね。
(Ψ)の任意有限個は無矛盾だが(Ψ)全体が枠外自由のケースです。
しかし、そうなると、無限公理体系としてのT全体の再帰性が保てなくなる。

 

それでも、証明場ではTの有限部分集合しか採用しないので。
矛盾の観点からも、枠内の観点からも支障は無い。
こういう辻褄合わせが出来るのです。
これが、ヒルベルトの有限の立場。
ゲーデルに負けた復讐戦です。
私が味方すれば、敗者も復活できるということ。
神というのは、こういう風に歴史を動かすのよ。

 

この為には、キチンと
「ハイパーコンパクト」
なる概念を定義する必要があります。
こういうのが私だから出来る神技。
本編の目的は、これですが。
その準備として、次回から伏線を開始します。
さぞかし、猿は罠に掛かるでしょうなあ。
これで422町目。

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