2023年7月28日

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2023年7月28日  (AFAの日)

 

 

今回は、予告通り、淵野の間違いを指摘します。

その手段として、term記号の有限性を顕示する目的で。

個体定数

一個と1変数関数記号イオタ

ι(x)

一個を導入します。

これでtermが再帰的に定義可能になりエルブラン宇宙が決まります。

 

この準備の下、淵野の論述を解釈して。

「c∋ι(c)

ι(c)∋ι・ι(c)

ι・ι(c)∋ι・ι・ι(c)

・・・」  ・・・(∞)

という無限個の公理を追加したら、どうなるか?

この拡大体系を

ZF+(∞)

とします。

 

もう少し、淵野の論考に近づけるため。

例えば、関数合成の演算子・の個数を数えるメタ関数

℩’(n)

というものを考えて。

(∞)の代わりに

「c∋℩’(1)(c)

℩’(1)(c)∋℩’(2)(c)

℩’(2)(c)∋℩’(3)(c)

・・・」  ・・・(∞’)

とやれば、どうか?

 

この場合、自然数が導入されるわけです。

この表現は、一見、淵野の表現と似ています。

しかし、淵野は、term記号の

「有限制約」

を読み込んでいなかったはず。

何故、そう言えるのか?

だって、淵野は無限個の個体定数基準で公理化していますから。

 

そして、その公理化にコンパクト性を適用するため。

公理数を無限個にして、矛盾かどうかを問うている。

ここが本質的に駄目なのです。

淵野は間違ったルートに入ったの。

何が、どう悪いのか、深掘りしておくと。

 

(∞’)を第一階述語論理的に記述すれば

∀n(n∈ω → ℩’(n)(c)∋℩’(n+1)(c))・・・(∞”)

ですが。

この場合、termとして個体定数cと2変数関数記号℩’(x,y)を使用しています。

この段階で、元の(∞)ベースとはエルブラン宇宙が違ってきます。

こういう細かい相違が、宇宙構造に、どう響くのか?

当然

「存在 vs 具体化」

に干渉するのですよ。

 

取り敢えず、この点は、さておき。

少しtermの有難味を悟らせるため。

(∞”)を半公理体系としてのZF風に書いてみると。

まずは、そのままの翻訳で

∃c∃℩’∀n(n∈ω → ℩’(n,c)∋℩’(n+1,c))・・・(ZF∞)

と書けます。

 

この場合、ZFはtermの無い半公理体系なのに。

どうやって、℩’(n,x)の解釈をするのか?

だって、(ZF∞)の方では、℩’は(集合)変数扱いですよ。

それが証拠に、限量子∃で縛られている。

それでも、何とかterm設定せずに済むように見えるカモ。

もう少し、突っ込んで分析しておくと。

 

キチンとZF化するには。

まず、∃℩’を

(∃℩’:2変数関数)・・・(関数)

とする必要があります。

「この程度は、置換公理の前半分で出現するので大丈夫。」

と安易に考えるのが甘い。

置換公理での関数定義は、シェーマとして登場した性質

ψ(x,y)

ベースですよ。

 

この場合のψ(x,y)は変数ではあらしゃいません。

参考までに、Wikipediaで

 

公理的集合論

 

を参照して御覧。

どの教科書でも、このレベルです。

つまり、(関数)は君らの責任問題として残された課題です。

やってみ。

 

次に

n∈ω

もZF風に書き直す必要があります。

以前、すでに宿題として提示しておきましたが。

誰か、やったかな?

何故か、ZF公理化では、そのままωが登場しているバージョンもありますが。

それはZFルール違反。

termを使わない半公理体系のZFでは、どうなるか?

 

ちなみに、Wikipediaではωが登場しないZF公理化していますね。

(昔はωが出現していた公理化もあったのでは?)

しかし、Wikipedia版ZFでは

が登場しています。

個体定数を1個導入した気分なのか?

関数記号を導入せずに。

 

何を考えているのかな、エルブラン宇宙で。

ビッグバン以前の宇宙像か?

とまあ、未熟猿に対する皮肉は、このくらいにして。

一方、ZF({x|})では簡単ですね。

ω={x|α(x)}

と定義可能ですから。

言っておきますが、ZFでのωの扱いが淵野の指摘した論点です。

(と、神が深読みしておきます。)

 

そして、最後に、

℩’(n,c)∋℩’(n+1,c)

部分もZF風に直す必要がありますね。

自分の力量把握と思って、やってみ、猿。

 

この局面で伝えたいのは。

term採用した(∞”)の分かり易さです。

ZF翻訳と比較すれば一目瞭然。

何が、ZFで第一階述語論理ベースじゃ。

半公理体系でterm設定もせずに。

どうかな、こういう指摘は。

天国の顕示録。

ここから本質の格真に入ります。

 

この場合、(∞”)や(ZF∞)は公理として1個ですよ。

ここまで来たら、コンパクト性は使えないことがハッキリします。

よって、

「コンパクト性使ったZF矛盾証明モドキ」

にはならないのよ。

一方、淵野の論点はコンパクト性依存。

無限個の℩(n)(x)を何とか、ZF内でモデル化する必要があることが分かるはず。

この意味では、彼の方向性は間違ってないのですよ。

但し、螺旋階段で2周くらい周回遅れです。

 

この文脈でFOPL詐欺の話に入ります。

淵野の論証ベースで、もう1周、昇っておきます。

「ZF({x|})ならば、℩(n)(x)は内部モデルで実現可能なのでは?」

だって、{x|ψ(x)}使うと、自然数

0、1,2、3、・・・

なんかZF({x|})内部で定義可能ですからね。

だったら、コンパクト性依存論証はZF({x|})の矛盾証明になっているのでは?

フフン、まだまだ青いわ。

 

では、何処が、どう駄目なのか?

それはね、(∞”)や(ZF∞)で考えれば分かり易いでしょう。

公理としての(ZF∞)は、明白にZFのAF公理と矛盾してるのです。

つまり、(ZF∞)はAFA(非基礎公理)の一種なの。

言い換えれば、AFと(ZF∞)はZF({x|})-AFに対し独立。

だから、ZF({x|})矛盾の証明になってないわけだ。

淵野には、この真理が見えてなかった模様。

 

ところが、こう指摘した後追いで。

「実は、淵野の真意は、まさに、このAFAの意味だった。」

とか、言い出しかねない。

馬化か。

今更、何を戯言ほざくかFOPL詐欺野郎ごときが。

半公理体系のくせに。

第一階述語論理べースだと言い張る青詐欺集団。

淵野は、その仲間だということ。

 

上の(関数)やωや⏀の伏線が目に入らぬか!

寝言は宿題済ませてからにして。

今回の解説で、彼我の実力差がハッキリしたでしょう。

ホント、便利な踏み台だ。

というわけで、淵野の間違いを利用すると。

私の実力が際立つという筋書きでした。

 

その間違いの弊害が、コンパクト性に纏わる課題。

ここから、ド素人の乱入が始まり。

世の中、滅茶苦茶になってくるの。

これじゃ、AIも馬化になるだけ。

term記号の有限性レベルの話はプロにとっては共通認識で。

今更、解説の必要すらない常識の部類だと思っていたのですがね。

淵野により、常識じゃなかったことが暴露されたという顛末。

人類は、徐々に、知的劣化していってるのカモ。

 

私の分析見て、今更、

「有限個のterm」

などと言い逃れしようとすれば。

即座に、私は猿の棲息地Wikipediaを待ちだすというシナリオ。

そこには、チャント、

「termには無限個の記号可能」

として歴史的証拠が残っていますよ。

 

第一階述語論理

 

これで413町目。 

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