2023年5月28日

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2023年5月28日 (可算の日)

 

今回は、予定通り、第一階述語論理に対するWikipediaの記事の間違いを指摘します。
具体的には、
「term候補として無限個の個体定数を許容するかどうか?」
の課題です。
WikipediaではYesとなっていますが。
あの記事は誰が書いたのかな?
今まで、誰もクレーム付けてないということは。
それが、現在のプロの共通認識だということ。
フッ、FOPL詐欺師の、その認識が青いのよ。

 

ここに、前回の伏線が作用するという筋書き。
つまり、名前の自由性です。
無限概念(∞)には
「実無限 vs 潜在無限」
があって、前者は普遍枠内の(集合論の)対象ですが。
後者は、哲学の対象として、数学では扱ってこなかったのです。
しかし、私が潜在無限から自由集合という性質を切り出した結果。
自由集合なら、証明対象化可能になりました。
「自由集合は集合論の枠外になる。」
という証明です。

 

まず、この基本レベルでWikipediaは駄目でしょう。
無限の候補として、自由集合を念頭に置いてないの。
何故、自由集合を考えてないと言えるのか?
簡単ですよ。
自由集合は
「P vs NP」・・・(NP)
の証明の文脈で私が史上初に定義した概念であり。
腰弁猿が自由集合の何たるかを理解できていれば。
今頃、
「(NP)は消滅で最終解決した。」
とプロの世界で噂になっているはず。

 

しかるに、現実は、未だ、(NP)は解決されてないという共通認識です。
一部の猿は解けたカモと言い出していますが。
プロの間では、まだ浸透していない。
だって、解決した神としての私
「山口人生」
の名前が世に出てないでしょうが。
これが、ここの記事を読んでない弊害ですし。
一部は(無料で)読んだのですが、理解できてないということ。
つまり、大半のプロは解けてないと思っています。
少なくとも、Wikipediaでは、(NP)は未解決となっている。
従って、AIに質問しても、そういう回答になる。

 

これが、論理猿にも
「自由集合を認知できてない。」
という客観的な証拠です。
つまり、termで
「個体定数を無限個許容」・・・(許容)
と言った場合、無限の範囲に自由集合を含めてないの。
この局面で、伏線の
「T vs TT」
の課題が干渉してきます。

 

私が(NP)の文脈で自由集合を切り出したのは。
単一理論Tではなく、理論全体としてのTTベースだったのですよ。
だからこそ、自由集合は集合論枠外になるの。
ところがね、termレベルで(許容)を考察する場合には。
そのベースは、あくまでも、Tです。
まずは、この根本を誤解しないように。
その認識の上で、
「Tベースで自由集合を云々できるのか?」
この基本懐疑が重要になってくるのです。

 

従来は、∞から、実無限を抜き出して集合論を規定してきたのですが。
私は、更に、自由集合を追加で切り出したのです。
そういう風に、潜在無限から役立つ概念を峻別して切り出す能力が神なのよ。
無限を扱うのに際し、従来のような
「狭い、未熟な、粗い近似」
で対応を終始していると。
数学解法第四カテゴリーとしての
「消滅解」
の概念を扱えなくなるということ。

 

私が
「名前の自由性」
と宣伝したものだから。
物真似猿は、表面上の語感や辻褄合わせで。
忽ち、Tベースでの(許容)を言い出した可能性がありますが。
ホント、馬化の見本だ。
何も分かってない証拠になります。
というわけで、ここで著作権設定後の。
著作者人格権を発動しておきます。

 

御本尊の私の固有名詞(山口人生)への言及抜きでの
「自由集合の意味での無限個」
を数学や論理学の場面で使用することを禁止します。
だって、未熟猿では私のブランドイメージを損ないますから。
損害賠償の対象になりたくなければ、私の権利侵害しないように。
私の名前抜きで自由集合使えるようになるのは。
私に、正式に懸賞金100万$出した後の世界です。

 

その懸賞金を、いつまで経っても出さない新猿の知性。
これにより、真理認知が遅れ。
AIも馬化のまま無駄な時が流れていく。
こういう弊害が発生するわけだ。
どうじゃ、人類の敵、無視ケラよ。
己らの醜さが身に沁みるだろうが。
時の過ぎ行くままに、その身を任せ(^^♪

 

但し、(NP)が未解決のまま放置されることを容認するならば。
証明対象を集合論の及ぶ範囲に限定し
「自由集合を排除し、無限を実無限に限定する」
という基本思想に立つことは可能です。
この結果、Pなんて概念は証明対象から排除されることになりますが。
未来永劫、その真理を悟れないというシナリオ。
未熟脳は、いつまでも無駄な努力を重ね。
地獄で生きていく破目になります。
それは、さておき。

 

実は、termレベルでの(許容)は、一筋縄ではいかしゃいません。
この真理に関しては、次回から公開するとして。
今回は、自由集合を考慮しない旧世界観で話を進めます。
つまり、普遍枠内の集合論で∞を実無限として扱う立場です。
この場合、Wikipediaの記事は正しいか?
駄目ですよ。
所詮は、脳タリン猿の作文です。
原理上、無理。
どこが、どう間違っているのか?
以下、この深淵な課題に対する情報を開示します。

 

集合論で∞を扱う場合。
まずは、無限公理許容の基本思想に立ち。
次には、無限の内容が気に成り出し。
対角線論法使って
「可算無限 vs 非可算無限」
の話が登場します。
この事実に基づき、何も制約を付けなければ。
無限個のtermと言った場合、
「非可算個の個体定数も許容OK宇宙。」
と言い出す破目になるの。
本物の馬化だな。

 

一般的に、個体(定数)記号・関数記号・述語記号の
「有限 vs 無限」
問題に繋がる話題ですが。
それを深掘りしていくと。
Wikipediaの記事の曖昧性・漠然性の暴露になります。
「述語論理における無限個の記号許容」
とは、どういう意味なのかです。
TTレベルでは自由集合になることは確定しているので。
かみまでも、Tレベルの話題ですよ。
これは脳タリンの猿の手には負えない課題なので。
神の私が実無限の範囲で(許容)の話題に片を付けておきます。

 

ここからは、termの個体定数に焦点を当てて論じていきます。
普遍枠内の実無限の立場で、無限個の個体定数許容は可能か?
単に
「(実)無限個の個体定数」・・・(1)
と言った場合、上述のように、当然、
「非可算無限個の可能性」・・・(2)
も含みます。
しかるに、(2)は無理ですよ。
(2)を許容して何が不都合なのか?
何遍繰り返して注意してやれば木の幹から滑り落ちずに済むのかなー。

 

非可算無限個なら、再帰的にtermが設定できないでしょうが。
再帰的というのは、計算可能という意味です。
どうやって計算するのよ、非可算無限を。
それが出来れば、計算機で実数近似に由来する誤差に苦労してないの。
実際、決定可能言語Lは可算集合です。
よって、(2)を排除するために。
実無限に対する制約が必須なの。
ところが、そういう制約が付されてない。
だから駄目なのよ、Wikipediaの記事は。
分かったかな、教科書やWikipediaでの間違いが。

 

こう指摘すると、馬化は、反射神経で
「可算無限に限定することは暗黙の共通認識」
とか言い出すわけですが。
フフン、可算無限に限定すれば、(1)は可能か?
まだ駄目ですよ。
「可算無限 vs 再帰的定義(計算可能性)」
の相違が理解できてないのかね。

 

「可算無限というのは、可付番無限ということで。
1,2,3,・・・
と自然数の番号をふることができるという意味だ。
だったら、計算可能なはず。」
こう考える素人も多い模様。
まだまだ、甘いわ、メープルシロップ並みに。
それほど甘くはないのよ、
「証明可能性 vs 計算可能性」
の勝負は。

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