2019年9月28日 (抽象の日)

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2019年9月28日 (抽象の日)

 

前回で、第一階述語論理ベース理論Tにおいても、土台の集合論は無視できないことが判ったはず。
cutで消去できないのよ、ZF(!)は矛盾してるんだから。
その所為で、Tでの限量子の範囲問題が発生します。
これも、ZFの矛盾から派生する新しい論点です。

 

Tでの固有記号f(x)やπやeは、Δ雑音です。
それを、一々、ZF用語に引き戻すような野暮な真似はしない。
それよりは、Δ(T)と拡大する方向で考える。
しかし、これにより、自己満足のエルブラン宇宙は破壊される。
こうなると、論理の限量子自体の死活問題になります。
少し、詳しく吟味しておきましょうか。
まずは、すでに指摘しておいた置換公理に対する循環から。
あの循環の意味が把握できているかな。

 

ゲーデルの不完全性定理は、あくまでも、エルブラン宇宙ベースの主張です。
つまり、理論Tと、その拡大理論T’は、共に、同じエルブラン宇宙Uに依拠しており。
不完全とは、TでYes・Noが決まらないUベース不定命題があるということ。
こういうのを、Tでの独立と言ってきたわけで。
このUベース命題に対し、T’ではYes・Noの範囲が拡大し、不定の範囲が縮小するの。
ギリシャ幾何以来の平行線の公準なんかは、この範疇。

 

一方、強制法で証明した独立は、こういう従来の基準とは別格です。
何故か?
例えば、ZFと拡大理論ZFCの差としてのACですが。
論理式表現として、それまでの(置換公理以外の)ZF(*)の諸公理と同等に見えますね。
それを強調して確認しておいたわけですが。
しかしね、真理は、そう単純じゃなかったの。

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