2025年12月28日

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2025年12月28日 (奇跡の日)

 

前回、名前用アルファベット集合Θ’が登場し。

Θ’が自由集合になることを枠内証明しました。

Θ’を枠内固定すると自由性に対する

「名前アルファベット矛盾」

が起きるの。

この矛盾はオリジナルなので創始者特権で著作権設定。

狭義の論理とは違うハイパー論理の話題ですよ。

 

名前アルファベット矛盾で大事なのが、NAME’に依存してないという事実。

一般の集合の名前付与に対しても名前アルファベット矛盾は生起します。

というわけで、NAME’は勿論のこと。

無限集合Yに関する名前集合を

「NAME(Y)」

とすると。

 

人生のハイパー論理原理Y”

NAME(Y)は枠外自由集合。 ┤

 

つまり、名前が登場したら気を付けなさいということ。

哲学の

「明けの明星 vs 宵の明星」

では、こうはいかないし。

狭義論理のtermでも、こういう洞察は無理。

まして況や、重層構造の集合論をや!

名前の威力を垣間見た猿は幸せです。

この導入部から、今回の本論へ。

 

名前アルファベット集合の自由性は簡単に見えるはず。

当たり前にすら思えてくるカモ。

神の奇跡というのは、こういうこと。

知能色盲が正常に見えるようにできる脳力。

超えたな、キリストを。

これが何故、奇跡なのか、以下、周知徹底させておきます。

 

まず、第一段階として。

対象集合の要素に対し名前を考えると。

同様にして、NAME”の枠外自由性も枠内証明できます。

これは語の世界の話ですよ。

DLでも通用する話だと言ってるの。

共通する枠外性の原因はΘ’の自由性です。

 

こう指摘しても、パシリ日本の関税悲哀猿は、

「すでに、どこかの御白様が言った内容の受け売り翻訳」

と解釈しますが。

それが青いと言ってるの。

今まで、こういう論点をマトモに考察した猿は皆無でした。

 

それが証拠に。

今、目の前で展開しているのは枠外自由性に繋がる文脈で。

哲学じゃないし、従来の論理でも数学でもない。

史上初のハイパー論理です。

この事実に気を付けてください。

 

ここから、Θ’の奇跡の第二段階に。

Θ’は枠内近似できます。

これこそが奇跡の秘孔。

近似した結果は、そういう枠内状況になったということ。

また別の枠内近似を考えることは拒否できない。

だから、モグラ叩きと隠喩して馬化にし続けたのです。

この果てしの無さが自由なのよ。

 

ここから、奇跡の第三段発射。

アルファベットの用途はterm系に限定されるわけではありません。

実際、自然言語でもアルファベット採用しています。

この広義の観点から見れば、名前アルファベットの自由性は格真利益。

 

一方、termのアルファベットに限定して考究した場合でも。

名前アルファベットΘ’は自由集合になります。

ならば、名前対応を考えず。

term素材としてのアルファベットΘは?

これ、案外、難しいのですよ。

だって、Θ+Θ’もterm素材ですから。

というわけで、名前アルファベットΘ’の自由性を参考に論考します。

 

termで考える場合、Θ’の枠内近似が必須ですが。

Θ’のterm系枠内近似を考察する場合。

「個体定数+関数記号で生成されるエルブラン宇宙が再帰性を保持する」

ように注意することが一番重要。

ここから、第四段というよりも。

別兵器としてのレーザー砲を繰り出します。

 

極端思考実験線でΘ’が自然数を含むと仮定すると。

0、1、2、3、・・・9 ・・・(自然)

まで来て、その次のアルファベットは?

10をアルファベットと見做すかどうかです。

通常の解釈では、自然数は10進法という桁関数を採用しています。

だから、(自然)10個の個体定数採用表現になっているの。

 

ここまで言っても、猿は基本的な誤解をするのです。

例えば、自然数666の場合。

6x2+6x+6

のxに10を代入するわけですが。

「関数は自然数係数の多項式全体になり枠内無限個ある」

と思うカモ。

 

これを避けるため、PAでは

「個体定数0と継続関数+1」

だけで算術を展開しているわけで。

上の多項式でも、関数は+と×だけでOK宇宙。

但し、この文脈では、そういう翻訳還元はしません。

 

名前の観点から物事を見ているわけで。

しかも、名前のサイズ問題まで論考しました。

だったら、10もアルファベットと見做して。

個体定数扱いしてもOK宇宙なのでは?

ここの機微というか境界問題を極限まで突き詰めると。

コード後の{1,0}語に行き着きます。

 

語を順序対リストで表現すると

(1)、(1,0)、(1,0,1)、・・・(語)

と項数の違う可算無限のリスト関数が出現します。

これを集合論では、{}の入れ子に翻訳還元して1個の関数使用と見做します。

また、2項リスト関数を一つ準備すると。

(1,0,1)は((1,0),1)

と繰り返せばOK宇宙ですが。

 

ここは、自由な名前導入を許容する文脈ですから。

そういう姑息な手法も取りません。

この場合、(語)を全てアルファベットと見做せるのでは?

無理ですね。

そこには、根本的に大事な視点が欠けているのです。

それは何か?

ここから、本当の神剣勝負に入ります。

 

今は、termに関する話をしている最中です。

そして、termは個体定数と関数記号から再帰的に生成されます。

つまり、

「個体定数 vs 関数記号」

という2種類のアルファベット集合が登場するのです。

この基本思想で上の語を眺めた場合。

 

全てを個体定数と解釈してしまうと。

関数記号の出る幕がなくなりますよ。

これでは拙いでしょう。

何を指摘しているかというと。

一般に、

「エルブラン宇宙の要素を、全て、個体定数と見做す。」

という極端解釈線を選ぶことは間違っているのです。

 

この基本認識に立ち返ると。

語ですら、やはり、個体定数と関数記号の組み合わせで生成されていると把握するしかない。

となると、

「2項リスト関数」

を採用し、個体定数としては{1,0}の2個に限定する。

これが妥当な線として収まるのです。

 

同様に、自然数でも、個体定数は(自然)の10個で。

桁表現を採用すると考えるのが、それこそ自然。

その桁関数を極端にバラバラ解釈すれば。

関数記号は無限個許容も認可することになりますが。

個体定数は?

こちらが大問題なんですよ。

 

今回の内容が何に対し効果あるのか?

何故、奇跡と言うに値するのか?

次回を乞う御期待。

私の記事はユーチューブのような眉唾物ではありません。

歴史的に価値ある真理の開示です。

大衆向けの奇跡伏線だけで1京円の価値があり。

総額8京円の410町目。

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