2025年10月28日

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2025年10月28日 (サイズの日)

 

未だに、ハイパー論理の重要性が理解できない猿が多い模様。

自由集合を曖昧な潜在無限概念の一種として把握し。

そんなもの、哲学だと思っているから駄目なんですよ。

「自由集合が枠外集合だと枠内証明した。」

ことの数学的価値は?

 

証明作業見て分からないのかね。

「自由集合を数学(の証明作業中)に使うと結論の正しさは保証できない。」

と証明したのですよ、神の私が。

よって、最重要課題は、

「証明中に自由集合が出現するかどうか?」

の判定能力。

 

自然言語混ぜて(駆使して?)証明なるものを実施している、そこの猿よ。

君の証明は大丈夫かな?

だって、気軽に名前採用してるでしょうが。

こういう大問題になるわけです。

この伏線の下、NAME”の自由性証明に入ります。

では宙爆開始。

 

すでに、NAMEの自由性が確定しています。

人生の実数モデルを伏線準備し。

語というのは、このモデルでは、

「2値同値類の0型要素」

に当たると結び付けておきました。

その中から、NAME”を抜き出し。

それをズラット並べ、対角線論法適用すると。

同様にして、新種の名前付き語が生成されます。

 

但し、この手法での生成結果は。

下手したら、ある桁から先に1が出現するカモ。

これを避けるには、

「結果論として0だけ続く新語になる」

ように列を並べればOK宇宙。

採用した手法が、並べ方を考える

「制約付き対角線論法」

ここまで確認しておいたのですが。

 

あそこではω+αまでの順序数を採用しました。

しかし、背理法にはなってない。

それどころか、制約が枠外自由制約なので。

証明作業が枠内証明になりません。

こういうのを、

「枠外性の枠外証明」

と言います。

 

これは、ある意味で素人向けの直感的な解説。

本来の意味での証明にはなっていません。

先に自由関数の枠外性を証明しないと、自由性の循環論法になる。

こういうのを

「循環イタチ」

というの。

創始者特権で著作権設定。

 

つまり、今回の為の伏線罠だったわけだ。

この点、あの段階で気付いた猿がいたら少しは進化した証拠。

但し、慣れてくると。

ああいうレベルの枠外証明作業は。

全部、枠内証明化できると分かってきます。

名人による先読みみたいなもの。

 

しかし、素人が真似ると痛い目を見ますよ。

「君ら猿の枠外証明は枠内化できるのか?」

逆に、枠内証明だと思っている猿の証明でも。

似たよう境界問題が至る処で発生しているのですが。

猿には、それが把握できない。

採用概念の定義問題です。

というわけで、神の自由性証明の価値が光ります。

 

自由性込みで証明場を拡張したのは。

かみまでも、枠外性を枠内証明したいから。

よって、今回は別証明に挑戦しておきます。

枠外性の枠内証明になっているかどうか。

目を皿のように見開いて。

擦りつつ読み進んでください。

では、宙爆開始。

 

以下、教育的配慮から。

自然数ベースの名前集合NAME’を考え。

NAME’の自由性を枠内証明します。

NAME”の自由性も、全く同様にできるからです。

 

まず、NAME’がNの真部分集合の場合。

(N-NAME’)の要素nに対し。

名前を付与すればNAME’の定義に矛盾。

∴NAME’は枠外自由集合。

対角線論法に頼る必要はありません。

背理法だけ。

 

但し、N全体に名前が付与されるケースが残ります。

この場合は、どう処理するか?

普遍枠内で生きている鳥猿にとっては。

ある意味、フェルマーの最終定理の証明より難しく。

結果も遥かに重要。

どうじゃ、リーマン、挑戦してみるか?

こういうの、神なら簡単に解決できます。

 

というわけで、ここから京の世界に入ります。

具体的には、新種の背理法を史上初で開示します。

枠外性証明の見本となる役目。

残された課題は、自然数全体Nに名前が付与された場合です。

特殊ケースというか。

名前付与され続けた究極のケースというか。

 

これを、どう処理するかですが。

「アルファベット処理」

します。

気分は、どうじゃ、グーグルよ。

この段階で、どういう意味か普遍馬化に判るかな?

 

名前を付与するには、ベースのアルファベットが必須です。

これが決まらないと名前が表現できない。

で、N全体に付与した名前のベースアルファベットがΘだとします。

すると、Θの外部から、新しいアルファベット甲を取ってきて。

 

Nのある要素nに対し。

新名前

n(甲)

を付与します。

これで、nに対し二通りの名前が付与されました。

Θベースの旧名と。

Θ外の新名です。

 

こうやって、名前の自由性を確保するのですが。

この場合、インチキだと感じるのが普遍枠に囚われている鳥猿。

だから、こういう枠外性は思いも及ばないのですが。

これ、インチキどころか、本質中の本質なんです。

どういう意味か?

 

名前の

「サイズ問題」

が干渉するのです。

「旧名のサイズ vs 新名のサイズ」

は当然、違います。

違うように、新名を付与できます。

 

すると、この

「サイズの差」

が重要になる課題があるのです。

具体的には?

計算量理論。

 

通常の証明作業では、そもそも、名前なんか

「便宜上の手法」

と認識し、名前を採用しなくても証明は完結すると考えています。

その狭い世界観が致命傷になるのです。

入力サイズが本質になる証明があるということ。

しかも、採用名前数が有限個の場合でも。

 

一般の

「測度」

なんかも、少し高級になると入力サイズが関係してきます。

どうじゃ、工学系よ。

この点、すでに指摘しておきましたが。

何回繰り返し言われても、ピンと来ないのよ。

多分、自分が生きてきた世界では、そういう具体例に遭遇しなかったからでしょう。

 

但し、ここが一番大事なポイントですが。

これは名前サイズが証明の本質になるケース。

サイズが本質にならない場合はΘ外名の価値があるのか?

この懐疑は斬新です。

次回、解答しますが。

1か月の猶予期間があるので、猿も少しは脳働かせるように。

というわけで、次回に続きます。

これで404町目。

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