2024年9月28日

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2024年9月28日 (再帰の日)

 

前回の具体例で、公理体系の重要性が認識でき始めたでしょう。

己の理論なるものが公理体系化可能と盲目的に信じて。

その可能性を前提に証明作業を実施したとしても。

一度は、公理化作業について、本気で考察した方が良いですよ。

この論考をすることで、初めて見えてくる真理があるのです。

公理化が成功した挙句に、どういう課題が生じるかです。

 

前々回は、理論を公理体系化する前の段階で発生する論点を挙げておきました。

今回は、公理体系化した後でも残る課題について検討します。

次回の伏線準備の役割りですが。

論理猿も数猿も物理猿も、目を皿のようにしてヨーク見ておくこと。

次回に、その真意が判明するシナリオ。

 

「自分達は理論ベースの数式推論だけをやる。

土台の集合論の必要性までは認めたとしても。

理論に対するメタなんか考えない。」

と無邪気に思っている猿が多いのですが。

フッ、その基本思想が命取りなの。

玩具のメタバースじゃあるまいし。

メタ思考は必要不可欠なんですよ。

 

どういう場面で必須か?

計算論のように、メタとオブジェクトが絡み合って。

混然一体化した証明場の場合は当然ですが。

他人事じゃないぜ、数猿や物理猿よ。

数学理論Tでの推論の土台に集合論があるので。

Tと集合論が混然一体となって推論してるわけですが。

集合論自身が、すでにメタ理論なんです。

その証拠がZFの重層構造。

 

この事実関係が把握できてないと話にならしゃいません。

論理猿のFOPL詐欺に騙されないようにね。

ZF矛盾証明を舐めるなよ。

空の解釈問題だけで済む話じゃないの。

ZF矛盾証明は境界への手紙であると同時に。

教会への手紙ですよ。

この意味すら分からないレベルの猿は人類の邪魔。

 

今回、その片鱗を垣間見ることが出来るというシナリオ。

今回でも悟れない脳は。

次回、私がまとめて処理します。

ヨハネの黙示録だぜ。

今回の抽象議論で具体例を思いつかなければ。

己の脳は、未だに、その程度だと思ってください。

というわけで、宙爆開始。

 

仮に、素朴理論を(第一階)述語論理レベルに公理化できたとします。

(この公理化レベルで、すでに困難な理論は掃いて捨てるほどあります。)

それでも、まだ重要な論点が残っているのです。

これが理解できてない猿が多いから、(理論)世界がインフォハザード状況になるのよ。

一体、何が問題なのか素朴猿には把握できない模様。

よって、具体例をZF集合論で示します。  

 

ZFは重層構造だと指摘したわけですが。

ここから矛盾の匂いがしてくるので。

これを回避するため、私が提唱した

「’法」

を採用することで、論理記号を関数化して。

集合論の重層構造を逃れた気分で平板解釈しても。

それは論点をエルブラン宇宙の境界問題に置き換えただけ。

事態を

「Δ(ZF)境界の漠然性」

へと曖昧化した一時逃れに過ぎません。

 

従来は、Δ全体から

「集合以外の(プロパー)クラスなどを除外する。」

と言って誤魔化してきたわけですが。

ZF公理体系の観点から考えると。

termの範囲を先に決めないとZF理論は確定しないわけで。

そのtermの範囲指定に、ZF理論を持ち出すのは循環論法。

それでも、何となく決まるように錯覚してきたわけです。

 

その理由はformulaの方がハッキリ決まるからです。

つまり、公理体系レベルで見れば、キチンと公理化されている。

こういうのをFOPL詐欺というの。

それだけじゃ駄目なんですよ。

「termの範囲をハッキリ決める。」・・・(ハッキリ)

という行為が必須。

この(ハッキリ)視点が欠落していたのよZFには。

この文脈での

「ハッキリとは何か?

何であるべきか?」

 

公理体系のtermというのは、再帰的に定義しないと駄目なの。

その理由すら分かってない模様。

形式的な演繹証明結果、式Sが出るわけですが。

Sが正しいformulaの範囲に収まっているかどうかのチェックが必須ですよ。

だって、式を変形させてきたわけですから。

この前提として、S中のtermが正しい範囲に収まっているかどうかが勝負。

 

通常、S中には(束縛)変数が含まれます。

ゆえに、“正しい範囲”のチェックの為にtermの再帰性が要求されるの。

言っておきますが、(プロパー)クラスはtermの方ですよ。

Δ(ZF)どう処理する気なのかな?

コンパクト経由の

「Sの証明で使う公理は有限個で収まる」

なんぞという幼稚な思考では話にならないの。

分かってきたかな、論理のFOPL詐欺猿よ。

 

以上が、Δ(ZF)の論点ですが。

これは、集合論だけではなく、一般の(演繹ベース)理論に共通する課題です。

termの再帰性はイロハのイ。

逆に言えば、最初にtermとformulaを再帰的に定義しておけば。

演繹推論結果の式としての正しさは保証されるわけだ。

 

注意:

但し、理論が(formulaレベルで)矛盾してなければの話ですよ。

矛盾した理論からの証明には何の価値も意味も無し。

だからこそ、これほど、繰り返し巻き返し。

口が酸っぱくなるほど、矛盾に注意せよと言及しているわけだ。

矛盾回避出来たら、次は独立に注意。

どうじゃ、気分は、ABCの宇宙際。

ようやく、青くなってきたかな?

まだカモ。   ┤

 

これこそが、形式的証明の格真利益。

演繹推論(の正しさ)は、20世紀初頭の数猿や論理猿の最重要課題で。

「ヒルベルト vs ゲーデル」

の勝負だったのですが。

21世紀になるとスマホ退化脳は歴史を忘れたらしい。

term重要性を再確認させたのが、私のZF矛盾証明。

 

というわけで、termの再帰性を強調する世界観を

「HGYライン」

(ヒルベルト・ゲーデル・ヤマグチの略です。)

として名付けておきます。

温故知新の歴史記念です。

ゲーデルは再帰性をキチンと把握したのですが。

残念ながら、ZF見てもtermの再帰性欠如を悟れなかった。

 

クラスのBG理論までは到達したのですが。

駄目ですよ、Δには超クラスも出現するのだから。

ZFとBGは同じ穴の貉。

この意味で、HGYラインに一番大事な寄与は私がしたので。

略して

「Yライン」

と呼びたくなるなあ。

 

termには再帰性が前提されているのです。

つまり、termはコード使用されるし、コード出来るの。

ここがポイント。

だからメタ思考が出現するという筋書き。

「デモ、コードしない範囲で考えればOK宇宙。」

とか言い出すと末期的症状だ。

 

「’法とは何か?

何であるべきか?」

論理記号の関数化ですが。

これがコードなのよ。

コードというと自然数限定と考えている様子ですが。

馬化だな、コードとは記号化です。

こういう深い分析が出来てない猿脳だから。

ZFは無矛盾などと甘い妄想を抱く破目になるわけだ。

 

言っておきますが、今回の論点は。

ZF矛盾証明の流れで、数猿や論理猿相手には、すでに公開済みです。

しかし、連中、殻に閉じこもり、無視ケラになって正式に認めないの。

数学全体に波及効果を及ぼすのにもかかわらずです。

天使が魔王に堕落するとは、こういう意味。

 

土竜叩きで、いくら足掻いても、10年経過しても。

未だに自分達のタリン脳ではYJ理論の構築ができない。

そもそも、数猿は素朴理論を公理化できない。

まして、況や、物理猿をや!

これが歴史上、現実化されたヨハネの黙示録で。

ここの文章が教会への手紙。

 

腰弁教授は、今や、地獄で悶え苦しむ悪魔。

さぞや苦しかろう。

他人事じゃないぜ、金融猿や経済猿。

そろそろ、天使がバブル鉢を引っくり返す時期だ。

これで365町目。

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