2019年12月28日 

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2019年12月28日 (構成の日)

 

今回から、創世編に入る予定だったのですが。
まだ、ZF矛盾の本質が判ってないプロが多い模様。
これぞ世界レベルの知力基準の現われです。
仕方ないので、行間補充をしておきます。
今回のターゲットはV=LのL。
Lの構成可能性とは、如何なる意味なのか。
再点検をしておきます。

 

ZFのモデル全ての共通性質を備えているのがZF公理系。
そして、ZFのモデルは、全て、プロパークラスを含みません。
universeの要素は集合のみ。
この宇宙で、数学の様々な命題を扱うわけです。
ZFの土台の上に、各種理論が乗るということ。
ソフトウェアの比喩で言えば、公理的集合論というのは、OS。
それに対し、通常の数学分野は、アプリ。
この比喩を使って真意を解説すると。 

 

通常数学の特徴は、モデルのuniverseがハッキリ決まっている点。
自然数論や実数論、その他の抽象的な領域を考えても、皆、このカテゴリー。
ところがね、公理的集合論の特徴は、前もって、モデルのuniverseが決まってなくて、
「今から、許容範囲(集合)を決めていき魔性。」・・・(D)
という点。
ZFやZF+αは、こういうカテゴリー。 

 

本来、素朴集合論は、OS側ではなく、アプリ側と思って創設した分野です。
前もってuniverseが決まっていると想定した理論。
そのuniverseとは?
ハッキリしてないから矛盾が発生したわけです。
その結果、公理的集合論の誕生となったのですが。
如何せん、いくら公理化しても。
モデルのuniverseがハッキリしてないという事実は消えないの。
それこそが集合論の本質だから。

 

ところがね、何とかして、universeをハッキリさせようという試みもあったのよ。
これに挑戦したのが天才のゲーデルです。
彼は、
「V=L(構成可能性公理)」
というものを提示しました。
そこで採用したLは言語のLではありませんよ。

 

集合の構成定義{x|φ(x)}中の表現φ(x)に制限を課して。
その制限を満たすような集合を
「構成可能集合」
と名付け、構成可能集合だけを採用して集めたものがLです。
で、V=Lとは、
「容認する集合として、構成可能集合だけを認める。」
という主張です。

 

やるじゃないか。
少しは、論点を把握できていたらしい。
しかし、まだまだ青いわ。
問題は、ここでの制限の内容です。
どう制限するかですが。
最近の教科書猿は
「第一階述語論理ベースに乗るような表現に限定」・・・(1)
とか言い出しています。

 

オイオイ、公理的集合論は哲学じゃないぜ。
何の為に、素朴集合論を卒業したのかね。
公理的集合論では、具体的に、どうやって第一階述語論理に乗せるかがポイント。
ここで、私の指摘した重層構造が重要な意味を持ってきます。
φ(x)は何らかの性質を形式的に表現したものですが。
「何らかの性質とは何か?
何であるべきか?」
この本質が把握できてないと(1)のような戯言をほざき出すのよ。

 

判り易く指摘してあげると、
「φ(x)に述語を使用しないで済むのか?」
です。
φ(x)は形式的に論理式で表現されるのですよ。
だったら、絶対に、述語を採用しているはずでしょうが。
それを、抽象的に、
「性質φ(x)」
なんぞと表現しているから、本質が見えなくなるのよ。

 

集合一元論で許容される述語は=と∈だけです。
これらの述語のどちらかはφ(x)中に必ず出現するの。
そうじゃないと、論理式にならないから。
だから、重層構造は不可避なのです。
つまり、集合論は第一階述語論理のterm構成規則を逸脱しているのです。
ところがね、従来は、言葉で(1)と気軽に言ってきたのよ。
これこそが諸悪の根源、M教授の罪。
そんなこと、原理上、できようはずもないと喝破したのが、神の私です。

 

一方、ゲーデルは、少しテクニックを採用しています。
「φ(x)中で採用するのは述語ではなく、関数にすればOK宇宙。」
と考えた模様。
少なくとも、言葉遊びで、
「演算」
という用語を使っている。
8つのゲーデル演算なるものを定義し。
「性質として、この8つで生成される部分集合のみ許容する。」
とφ(x)の候補に制限を掛けました。

 

任意の部分集合の代わりに
「(8演算)定義可能な部分集合」
のみを用いて、
L(0)、L(1)、・・・
と集合階層を構成していくわけです。
この結果、得られるのが、Vの部分クラスとしてのL。
で、V=Lと仮定すると、(一般)連続体仮説なんかがYesになるという寸法。

 

但し、ここでは相対整合性の方ではなく、彼の採用した演算の方に注目です。
彼は演算と言ってますが。
その8つの演算の定義には、直接、述語∈を使用しています。
だから、ゲーデル演算を使用するということは、述語を採用するということ。
つまり、Lの定義可能性にも、述語∈は不可欠なの。
だから、
「集合termの定義に述語∈を採用している。」
という循環が発生しているのですよ。 

 

ゆえに、第一階述語論理に乗れてないわけですが。
何故か、(∈ベースの)演算という言葉を用いることで、循環を脱したつもりなの。
ここがゲーデルの限界。
一方、私は神だから、循環の秘孔を付いたのよ。
今後の指針にもなるから、もう少し、この方向で話を進めておきましょうか。
ここの要望は
「φ(x)の定義から、何とかして、述語を消せないか?」

 

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